管理者側の素質について

日常

 最近この管理者の素質に関して考えることがある。仕事のマネージャーとしての管理者の意味合いもあるし人を管理して回す意味での管理者もあるし、責任をもって責務を果たすことの意味合いもある。自分はその素質はあんまりないと思う。
それはなぜかというとたぶん自分が職人気質だからだ。田んぼしかなくて学校の教室も一学年2クラスしかないようなド田舎で生まれ育ったというのもあるし、血筋的にもあんまり人が多いところで育ってきていないというのがあると思う。今の仕事はエンジニアをやっていて、他の仕事に比べるとコミュニケーションが少ない状況で仕事を進めていく環境であるからコミュ力がなくともある程度やっていけるが、もっと年収を伸ばしたり年齢に合わせた仕事をしていこうと思ったら、希少な技術者以外は管理者側のスキルが必要になってくると思われる。チームを引っ張っていく力というか統率力というのが必要になってくる。それが自分にはないと感じる。どうしてもやりたいことが思いついて猪突猛進してやっている時の推進力には自信があるがそれ以外のやりたくもないけどやらないといけないこととか、人がやりたいことを叶えるために動かないときとかはマジで記憶力もないし推進力もめちゃくちゃない。学生時代はそういうわがままが通っていたし若いうちは許されるんだけど、年を取ってくるとそうも言ってられない状況になってくる。そのうち自分の下に人がついてきたり子供が生まれてきたりして時に自分以外の人のことを気にして行動して思考しないといけない。自分はそれが本当に苦手なんだと思った。人間だれしもナルシストで自己中だと思っているけど、それ以上に自分はそれが強いのだと思う。
 自己中で自分以外のことは興味なくて全然覚えていない奴が管理者になったりするとたぶん組織としては下の人が苦労するような感じになるんだと思う。最近都会の仕事の中で人とうまくやっていく術みたいなものを覚えてきたような感じがあるんだけど、ちょっと、忙しくなったり並行して進めないと行けなったりして頭がいっぱいになるとすぐにダメになる。ホウレンソウができなくなるし他人が言っていることを聞いてもすぐ忘れてしまう。でも自分が思っていることは言わないから意思疎通ができなくて自分勝手に行動してしまう。それでいつも自己嫌悪に陥るんだと思う。都会でバリバリ働いていくのであれば絶対に職人仕事、今で言うとひたすらコードと向き合って開発していくポジションじゃないとやっていけなさそう。だからといっても自分は希少な技術者なわけでもないからそんなに市場価値は高くないしただのコミュ障低スキル者ってくくりになる。だから天才や秀才でない限りは人とうまくやっていけないと生きづらくなっていく。キャリアを考えるといつも技術者の道か管理者の道かってなって、結局ほとんどの人は頑張って管理者の道に行くんだと思う。その選択が一番賢くて一番無難だしリスクもかからないし周りに文句言われないし家族からもグチグチ言われない。そうしてただの人として年を取っていきやりたいことができなくなった頃に自由になって後悔と共に老害になっていく。そんな道が見えてきてほんと嫌になる。
 こうやって書いていて最近のイライラモヤモヤが言語化できそうになったのだが、今後の将来が見えてきて予想出来てきてある程度の道が見えてその道があんまり楽しくなさそうって思えるから毎日とか今後のこととか仕事中とかが本当の意味力が出ない。今の仕事が慣れすぎていて次のステップに行きたいのにずっと他のことに追われているっていう状況がもどかしすぎて本当にムカつく。人生というくくりで見たときに前に進んでいるなって感じる時は大きな喜びと楽しさとかを感じるんだけど、ずっと前に進まずにぐずぐずしている時に根拠のないイライラとかモヤモヤが発生することが多い。体調が悪いとか機嫌が悪いとかっていう感じではなくて虚無感からくる慢性的なイライラって感じ。この感じは本当にめんどくさい。何をしていても空虚感とその場しのぎ感があってたちが悪い。おいしいものを食べたとしてもその瞬間は楽しくても味が過ぎていけばモヤモヤが戻ってくる。ただの気休めぐらいにしかならない。よく眠れたり仕事でうまくいったとしてもその時はうわーって思ってもその後空虚感に襲われて何かしたいと時間をかけて探すんだけど結局これじゃないもので満足しようとしてしまう。人には優しくできずにうじうじしてしまう。この状態の人間って結構めんどくさいと思う。まだ体力があるうちは思い切って何か初められるんだけど、年を取ってからだと何かおもい切ったとしても体力がついてこなくてやりきれない。そのもどかしさと死ぬまで付き合っていかないいけないという絶望から老害ができるのかなと思う。今自分は老害になる人の気持ちが非常にわかる気がする。自分はどうしてもこれがやりたいのになにか外部からの力や因果から抑えられている感情は毒になって染み出していく。エネルギーは煮詰まると腐って毒なって人に迷惑をかける。自分もそのうち人に迷惑をかけるような人にこのままだとなってしまうのだろうか。
 でもそういうことをやってしまう人の気持ちはたまにわかる時がある。一回目は実家にいたときに家族と仕事をしながらずっと意味がないことをやっている時。何かをするわけでもないのにずっと突っ立っていないといけないし来客があったら愛想笑いと話を聞いているふりをしないといけない時。その仕事?が続いていったときに事件を起こす人の気持ちが分かった時がある。腹の中になにか黒いものというかイライラみたいなものが出来上がる。それが膨れ上がっていくと体中に広がっていって真っ黒になって事件を起こしてしまう。そんな感じ。犯罪者のつくり方みたいなものを知った時だった。色んな作り方はあるんだと思うけど人間の壊し方なんて色んな種類があってうまくそれを避けれて生きられた人は老衰できる。
 二回目は東京に来てコロナ禍で一人でずっとボロアパートで引きこもっていた時だ。何もやる気が起きなくてくそ詰まらない日々が続いてお金もなくて明るい将来もなく何となく生きて何となく死んでいくんだろうなと思ったとき。なんにもやる気が起きなくて何か目標があるわけでなくただ生きている感じの時。そういう時なにか社会に対して表現したい、何か自分という存在を知らせたいと思ったときに色んな行動に出る。美術系のようなちゃんとした表現で発信する人もいるしなにかサービスを作って社会に還元する代わりに自分の言いたいことを聞いてもらったりする人とか。それか煩わしいけどそれでも人と係って仕事を選んでいく人とか。それか何か大きな事を為し遂げて注目してもらう人とか。結局人は人に話を聞いてすごいねって言われたいんだと思う。承認欲求とかっていうけど、承認もされなくていいんだと思う。ただただ自分の言ってることとかやっていることにアクションとか返事が欲しいだけ。内容とか種類はなんでもいい。ただ反応があればいいだけ。じゃなきゃTwitterで意味わかんないことをぼろくそに言っている人とか、わけわかんないことをやって炎上して喜んでいる人とか事件を起こしたりしないと思う。ただかまってほしいだけ。かまってちゃんとかって揶揄されることが多いけど悲しい状態だと思う。だってもう最終サイレンのような感じだから。だからと言って介抱したり面倒を見てあげようみたいな余裕はない。
 色々と道草してわけわからんことをいっぱい言ったけど、要は管理者になるには人の面倒を見れるくらい余裕がないと務まらないということが言いたかったんだ。管理者になるためには作業者とか管理対象者からの話をいっぱい聞いて理解してあげた後に次の道を示して誘導して管理しないといけないと思うんだけど、それをしたり話を聞いたりするには自分が言いたいことが言い終わっていて自分の承認欲求とか話したい欲が解消されていて、心の器の中にたっぷり余裕がある状態じゃないとうまくいかないと思うんだけど、こういうなんでも吐き出せるサイトがあったりしないとマジでそんな余裕持てない。余裕がある人も絶対にどこかで愚痴を吐いたりどこかで甘えたりしている。その場面をうまく隠しているだけで人間だれしもそういうものが必要なんだと思っている。年を取って大人になったらその甘える場所が要らなくなったり少なってもいいのではなくて絶対どこかで補給しないとやっていけない。わがままのミルクが絶対に欲しくなる。大人になった分だけわがままを補給しないと回復しないと思う。固い仕事をしている人はその分裏の性癖とかが激しいって聞いたことがあるけどそれはとてもわかる。大人になりまくった後は思う存分赤ちゃんに戻りたいんだと思う。そう思うと総理大臣のわがまま補給ポイントはどこなんだろうとか思えてくる。総勢1億人の管理者とかって思ったらめちゃくちゃ大変だなと今思った。
 いろいろ言ったけど、結論管理者になっていくにはわがまま補給がうまくならないとやっていけないってこと。ってことはスナック通いになるってことなのかな?
(サムネは双子たまごさん)