慢性的なもやもやについて

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最近慢性的にモヤモヤが続いていてずっとうまくいかないことが多い。何をしていても空虚感に襲われてこうやって文字を書いていたりする時も筋肉痛をほぐしているような感じで、その場しのぎのような感じがしてなんか悲しくなるというか前に進んでいないというか本当の意味で面白くない。このもやもやからどうやって抜け出したらいいのか。ただただ疲れていて休みたいだけならそうすればいいんだけど別にめちゃくちゃ忙しくて疲れているわけでもない。ある程度仕事もこなしているしある程度プライベートも充実しているように思える。でもどこか空虚がある。ずっと何かもっといいものを探しているような感じ。とりあえず今はこれで我慢しているけど本当は他に考えているものがあるんだって感じの状態で何日も何か月も進んでいるよう感じ。なんなんだろうこの感じは本当にムカつく。ずっと取れないガムがほっぺたにくっついているよう感じ。このガムと付き合うことを覚悟するべきなのか。それが大人になるということなら俺は嫌ダナエ。あーもうこういううじうじしている時が本当に無駄だと思うんだけどうじうじすることしかできない状態なのがほんとうにむかつく。だれか答えを教えてくれ。引きこもりたいけどそれで解決するとは思えない。でも最近一人カラオケを1時間半行ったときはなぜか気持ちよかった。カラオケボックスとかって自分だけの空間だし何をしていても全然許されるし飲み物は飲み放題だし好きにお菓子を持ち込んでだらだら過ごせる。別に歌を歌わないとしても都会で同棲している身としてはなぜか快適な空間に感じてしまった。その分料金は高めだけど全然払っても全然いいと思えるようなくらいだった。でもそれもコリをほぐしているだけの感じ。ただの息抜きにいいくらかのお金を投資するのってあんまりいい使い道に思えない。コスパ悪いというか、絶対もっと安くて地味で簡単なもので解消するように人間出来ていると思う。体がなまっていて運動不足を感じている時に高いジムを契約していい運動ウェアを買いに行ったりすること必要なのではなくて、ただいつもの普段着で近所をランニングして部屋の中で軽く腕立てしてスクワットすれば大体解消する。簡単だし楽だしお金も手間もかからない。それで十分クリアするのに大きなお金を使って大振りで振り回す必要はない。だし、食欲がわいて何かいいものが食べたいと感じたときもいいスーパーでいいお肉と好きなものを大人買いするぐらいで解消できる。それを自分で料理品しながら好きな映像作品を見るってことをするだけ大体解消する。良質なものを外食で求めるよりもある程度のいいものを買ってきて自分で一生懸命作ったものを好きなだけ食べる方が根本的解決になる。人間だれしも自分が一番かわいくて自分が作ったものならどれだけ不細工でもめちゃくちゃかわいく思える。だからそんなに大しておいしく作れなくてもそれを食べるだけで高級料理を食べたぐらいの満足度が味わえると思う。そんな感じで根本的解決は地味でシンプルで楽で安いんだと思う。だから一人の空間を持つために1時間半くらい2000円くらいを払って解消していくのは違う。この慢性的なもやもやの正体は何なのか?それを突き止めるにはいろいろ試してうまくハマるものに出会うのを待つしかないのか?それははがゆい。
 ちょっと考えてわかったのが重要でもないことに振り回されているのがうざいのかもしれない。じゃあ自分の重要だと思うことは何なのか?古典を読むこと。単価の高い案件に入るための準備をすること。将来のために副業の柱を立てること。起業をするための準備とか勉強をすること。こういうことが最近本当にできていない。それがイライラの原因?一番は単価の高い案件に入るための準備ができていないことにイライラと焦りを感じているのかもしれない。今の現場が2月でひと段落するからあと4か月くらいしか時間がないってことと他のことに時間と頭を持っていかれて身動きとりずらいっていう状況が大事なことが進められなくてイライラしているのかも?それとも本当に進めないといけないことが何なのかが分かっていないことにイライラしているのかもしれない?将来どうしたらいいのかとか?将来のことが多分絡んでいるんだと思うけど、それが何なのかについては明確にわかっていない。一番?は子供が生まれるまでに時間がもうないのにやりたいこととかやれてないことがたくさんあってもっと時間とお金が欲しいのに現実が追い付いていないこととかかな?お父さんにはなりたいと思うしその将来を考えるととってもあったかい気持ちになるんだけどそれと同時にわがままで夢見がちな自分はある程度捨てないといけないと思っている。前の記事でも書いたが管理者側になるにはわがままを受け入れるための余裕が必要になるからである。だしわがままを受け止めて解決して導いてあげないといけないから自分がその方向に行っていいわけでない。たくしたり見守る側になるしかないのだ。そう思うと自分がやりたかったこととか目指したかったことは何なのか?それは陶芸家で色んな作品を作って生活してみたかったってこととかかな?あと絵描きになりたかったとか?かっこいいと思う生き方は哲学者とか数学者みたいなとても偉大なことを成し遂げることとかかな。そこまで壮大で偉大じゃなくてもその業界とかその地域で公式を作った人みたいな立ち位置になることは目指してみたかった。それを捨てているわけではないけど今はそれを目指せるような状況でも環境でもない。はーあ。自分も世の中の一要素として夢とかやりたかったことをあきらめて家族を養っていくかっこいいとされている父親になるのかという絶望がすごく嫌だ。それしか道はないのかな。でもそうするしかないよね。自分が思うに男は夢がない状態で生きていると腐っていく。馬鹿みたいに夢とかやりたいことをやっていると少年のままであほだけどキラキラしていられる。そうはいってもやらないといけないことばかりでやりたいことなんて言うほどできないよ。そんなに甘くないんだよって思うと思うけど、少なからず目標に向かっていっているという事実が大事なのだ。向かう先がないとうじうじグルグルして何も生み出さずに人の邪魔をしながらうざい人のまま生命を終える。行く先がない人は暇なのだ。どんなに遠くてどんなに先のことでも目的地がある旅と何も決まってなくてとりあえず時間をつぶさないと行けない旅では天と地ほどの楽しさがある。目的地がある人は面白そうなものを見つけたときは道草になるし、目的に生かせるかもしれないという目で物事を見られる。でも目的もなく時間をつぶさないといけない人からすると物事はとてもつまらなくなる。インパクトや分かりやすさばっかり求めて本質とか本物とかっていうものは意味をなさなくなる。何をしていてもつまらなくて何か事件でも起きたらいいのになんてことを思ったりする。マジで暇。そんな状態だ。目的がある人は時間があるのなら目的に必要なことをする時間になって暇な時間があるだけ良い。その分だけ目的地に近づけるかもしれないから。でも目的がない人は暇を嫌うと思う。短期的にも目的が欲しいからだ。その時の目的が欲しい。別にそれをしたり得たとしても今後の目的とか人生にはなんも響かないけどとりあえずそれっぽいし1週間くらいは本当の目的から目をそらせるしいいじゃん。って感じ。
人生の目的がないってかなり残念な状態だなって思う。今の自分もそんな感じで嫌になる。もうちょっと人生について考えたいのかもしれない。こういう話を書いている時はちょっとモヤモヤが晴れた感じがするよ。セネカの人生の短さについてでも読むかー。適当に書いていたら幾ばくか頭がほぐれてきたありがとう。
(サムネはハーモニカの分解)