前回に引き続き適当に書いていく。
違うページで要約したものがあるのでそちらを参照していただく。
脳が環境に依存するということだが、これに関しては自分も経験というか思い当たる節がある。実家に帰るといつもなぜかぼーっとしてしまうのだ。本を読み始めてのは大学生になってからでそこらへんからちゃん自分の力で生きていかないとと自立心が芽生えしっかり考えることを意識していった。そして新社会人になってからも頭で考えることやちゃんとした食生活で運動をしよりよく生きながら生産性と年収を上げていくという頭が常にある。だが、実家に帰った瞬間になぜかぼけーっとしてしまうのだ。子供時代からの脳への設定で上書きされてしまって行動が子供っぽくなったりする。頭で考えるというよりかは非言語で何となく生きる方に向かっていってしまってあまり生産的でもなくなってしまう。以前から知人に話したりしていたが、そう思えるだけだよとか、実家ってそういうものだよねーと重く受けれいてくれていなかったが今回で反論の材料ができた。加えて自分は絶対に子供は親元を離れて独立して自分だけの城を築くべきだと考えている。それは今回の環境で脳が設定されてしまうのもあるし、親と子というのは何とも言えず上手くいかないのだ。お互いに悪影響を与えてしまう。うまくいっている家庭をあると思うが、基本は離れたほうがうまくいくと思っている。自分がやらねばならないという意識が芽生えないのだ。どこか親に依存してしまい能力に抑制をかけてしまう。
また、この勝利者効果は会社でも働くため色々な観点から考察ができる。
まず、成果主義について。会社内で成果で格差をつけて評価するということは必ず勝利者、敗者がうまれ、一番下と一番上ができるようになる。勝利者としてはもっとどんどん勝利を重ねることができて業績を上げていけるのだが、問題は負けている方だ。能力があった人も負け続けることで自信が落ちていったり成長が抑制されるようになっていってしまう。アメリカのようにがっちりと格差を作ることで平均を上げていくことがいいのか、年功序列のように平らに頑張っていくのがいいのかはわからないが、会社内の心理的安全性は脅かされるだろう。今の時代作業系はAIがやってくれるから人間に求められているのはクリティカルでクリエイティブな思考と成果だ。そんな環境内だとストレスがかかりすぎて脳が委縮してしまうためそういう志向がしずらいのではないかと思う。ある程度の競争は必要だと思うのだが、それだけだと光と闇のギャップが強すぎてきついのではないかと考えてしまう。じゃあどうすればいいのか。個人的には成果主義ではあるんだけどそれぞれの成長にフォーカスしたも野にすればいいのではと考える。他人との比較ではなく個人それぞれの過去と現在の比較である。まぁよくあるものかもしれないが、自分の中で勝利者効果を回すことができたらみんなにとっていいのではと思う。他者との勝利者効果は薄い方が良くて、会社内ではできるだけ成功体験が多い方がオフィスに環境バイアスがかかって自身もつくしより頑張っていける。でもどうしても今の自分は一般的にいいのか悪いのは気になってしまって比較してしまう。そこで自信をなくしたり落ち込んでしまうと思うのだが、もうそこはそれぞれが個人の成長に目を向けるように訓練するしかないのではないかな。
今書いていて思ったが会社のほかにも学校も勝利者効果が尊大に働いている。というか学校こそスクールカーストに見られるような階級や格差が身に見えない形で存在しており色々な創作が存在している。かっこいい、可愛い、勉強ができる、面白い、モテるなどなにかのジャンルで勝っていないと隅の方でコソコソしていないといけないような雰囲気。学校ほど社会の縮図を表したものはないよね。あんなに残酷なところはないように今振り返って思う。だが、現実その中で勝利者にならなければ生きていけない。もう少し勝つことにこだわった方が人生上手くいきそうだ。
(サムネは旅行先で見つけた照明)
勝利者効果The Winner Effect 2
