最近、契約書にはまっている。なにか裁判ごとが起こっているとかではなく、契約書自体についてとても興味が出ている。
ただの書類を結ぶことで多大な影響力を持ち一つの書類だけで生活費を賄っている人もいそうなくらい、今の社会の中では
契約書は大きな存在である。この契約書とはそもそもなんなのか?なんでそんな紙ぺら一枚だけでそんなに力を持つことができるのか?という疑問から始まり結構な深みまで来ている。
そもそも契約とは何なのか?契約書は契約の書だから契約を理解することでその書が何なのかが見えてくると思う。さかものぼること紀元前のユダヤ教から契約というのは存在していたそうだ。ユダヤ教は契約の宗教ともいわれており、神様と人間との契約を結んでいるものとのことらしい。あとでも書いていくが、ユダヤ教の聖書である旧約聖書を読んでいくと、物語の中で神様と人間の契約のシーンがある。多分一番有名なのがノアの箱舟のところだ。ノアという人間代表みたいな人が大きな船を作って選ばれた種族を乗せて洪水から守った話であるが、そもそもの洪水は神様が人間に怒って起こしたものだ。その上で人間がちゃんと誠実にまじめに生きるのであれば洪水をやめてあげるっていう約束をノアとした。その約束のおかげで人間は神様に生かされているという状態になっている。その後のモーセの十戒とかも約束の分類だと思う。そのような感じで神様と人間との約束=契約で成り立っている社会という世界観があるから、ユダヤ人は契約をとても重んじるそうだ。約束を破るということはユダヤ教においては重罪であるため何が何でも約束をしたからには守らないといけないらしい。
そういう歴史をたどっていくと契約という形式、行為というのは人間が作り出してきた知恵でもあると思う。普通に自然状態、つまりアフリカの野原とかで考えたら約束なんて存在しない。ライオンとお互いに干渉しないと約束できたとしても腹が減ったら襲われるに決まっている。ただの人間社会、集団であれば約束を重んじるものこそ馬鹿を見そうだが、お金をみんなが信じているからこそうまく社会が回っていくように、約束を守ることで利得がある状態の社会レベルがあるからこそ成り立つことだと思う。色んな争いや紛争があった上で約束は守るものだ、守ることこそが正義だという価値観?ができたということがなんだか自分にとってもはとても不思議なものに感じている。例えばあなたは私を殺してはいけないという契約をしたとしても、何の証拠や後ろ盾、メリットもなければ、普通に殺されてしまえばそれで終わりだ。だけど約束を守らなければいけないという抑制がかかることがなにか面白いなぁと思った。
契約書についてのちょうどよさそうな本がアマゾンにあったため今はこれを読んでいるのだが、正式な契約書や取り決めがなくとも契約は締結できるらしい。申し出と承諾が完了していればそれは立派な契約とのこと。だからよく口約束だから守切りなんてないよっていう裁判ドラマや漫画を見たりするが、本当は口約束だとしても守らなければ法律違反になるらしい。自分の勝手な思い込みだったかもしれないが、契約書に書かれていなければ口約束や口頭での伝達をしたとしても無効になると思っていた人は多いと思う。わかりやすく最小単位で考えると、レジでの購入が分かりやすい。モノを買いますとお客さんが申し出て店員が分かりました。何々円ですと金銭を要求しお客さんが支払い、店員が承諾することで購入という契約が締結する。そこで契約書をいちいち書いていたりしていたら日が暮れてしまう。たぶんそういう便益も考えて幅広くとらえられているんだと思う。
そんな結構曖昧に締結できる契約だが、やはり証拠というのが大切になってくる。面白かったのは、この証拠は契約書などの正式かつ荘厳に取り立てられたものじゃなくても証拠になるということだ。なんかこの辺は裁判に似ている。その時のやり取りのメールや文章、物などでも証拠になりえるらしい。もっとちゃんと音声データとか意識的に作成しないといけないものなのかなって思っていたけれど結構幅広く判定されるみたいだ。
ここまでの中で契約を結ぶにあたって契約書の優位性があんまり見えてこないと思う。なぜ世の中でここまで契約書が広く使われているのか?なぜめんどくさい手続きを行って最後に契約書として同意と署名をする必要があるのか?一番の理由としては当事者以外のためらしい。その時の契約がどんなものだったのか、どんな内容でちゃんと同意されたものだったのかなど保存と明記が一番の理由らしい。また、契約書を作るという過程で契約のないように齟齬がないかを確かめるのと、契約の内容を具体的に詳細に明記することでお互いの認識を合わせる理由もあるらしい。だが、当事者以外の人、一番は後任者の引継ぎの際に効果を発揮するらしい。その契約するときの雰囲気やいきさつなどは当事者しかわからないからしっかりと文書で残しておくことが将来的に良いということだ。また、一番怖いと思ったのは契約書を締結する前後の文章や口頭でのやり取りなどは契約書上では無効になるらしい。ここは自分が思い描いていた契約書のイメージで、どんだけニコニコしながら人当たりのいい言葉で誘導して今後こんないいことを提供する予定ですとか言っていたとしても、自分に害しかない契約書を結んでしまえば人生が壊れるような力をもっている点だと思う。わかりやすいのが闇金で、利益についてとか小さい文字で書かれていてそんなの知らないって言っても絶対に払わないといけないみたいな状態が出来上がる。最近で似たような事件があって、ディズニーの利用規約にやばいことが書かれていて、それをみんな知らずに同意していたということが分かった。ディズニーplusやチケットを購入する際に出てくる利用規約に何があってもお互い裁判を起こさないという内容だった。その内容を知らずに同意しており、ディズニー内の食べ物でアレルギー反応を起こしなくなってしまった人が裁判を起こそうとしたが、その利用規約の効果で無効になりえるといったニュースだった。ここでも契約の怖さを知った。利用規約なんて誰も読んでないし何も見ずにスクロールする画面だと思っている人が大半だと思う。不動産で部屋を借りる時もなにかと長い文章を読み上げられているのを眠たくなりながら聞くことがあるがあそこにも結構えぐい内容が書かれているのかもしれない。法律とか条例とかもそうだが、長ったらしい固い文章にはなにか穴があったりなにか欠陥やなにか抜け道が用意されているような気がしてきた。
契約について理解することでこの世の中の仕組みや流れが意外と見えてくる可能性を感じている。契約こそこの社会を回している魔法なのかもしれない。もっと勉強していきたいな?
(サムネは旧安田邸の照明)