そんなこんなで目的地である東雲湖について。この湖は水たまりみたいなもので他のところとつながっていないため、雨からの供給しかないらしい。水たまりがある日になくなっているようにこの湖もいずれなくなる運命らしい。そんなはかなさや輪廻転生を感じながら休憩をしていたのだが、自分がネイチャーガイドの道から少し外れてしまったときに、生えている苔とかを踏まないでくださいみたいことで注意された。すみませんとは思ったんだけど、道に生えている苔とかは良くて少し外れた苔を踏んではいけないというのがあまりよくわからなかった。道に生えているものは仕方がないが、それ以外の者は極力手を加えないようにしてほしいということだと思うのだが、その割には結構手を加えているような感じだったけどなぁとちょっともやもやした。東雲湖についた時にガイドさんが立ちションしにいった。自然なものに足して排泄するのはまぁ自然なことだからいいよねっていう価値観でOKらしいので自分も立ちションをしに行った。それはいいのに踏んだりしてしまったことに対してはだめなのかーというちょっとグレーさを感じたけど、ただ見過ごすのはよくないというのもわかってはいるけど、その注意された後の空気感が変な感じになったのは申し訳なかったなぁと思った。その後にまたカヤックで元のところまで漕いでいった。行よりも風が強くてちょっと漕ぐのが大変だったけどカヤック自体が楽しかったので全然苦じゃなかった。ネイチャーガイドとしてはそれで終わった。その後にネイチャーガイドでの自然に対する感動や衝撃があったため、帰りの道中で山に入れる道があったので少し入っていくことにした。もう17時くらいで日が落ちかけているところだったのもあって、フクロウや鳥などが鳴いていた。すこし森に入っていった後に急に怖くなってきた。クマが突然現れたらどうしようとか、なにか蛇にかまれたらどうしようという気持ちがどんどん大きくなっていった。恐怖や不安がどんどん大きくなっていって、もっと森の中に入っていくのがとても怖い洞窟に入っていっているような感覚になった。結局山にはいって10分くらいで引き返してしまったのだが、当時の縄文人とか原人とかは同じように夜の森に対して恐怖などをもっていたのかなとおもった。森が暗くなっていくにしたがって自分の中のホモサピエンスがどんどん表に出てくるような感じがした。昔の人たちが山とか深い森に対して神聖や神が宿るとかって考える感じがちょっとわかった気がする。わからないことに対して想像力がとても掻き立てられる。だから幽霊や妖怪などが生まれたしだからこそ神というものを作ったんだと思う。こんなに簡単に原始に帰れるんだとも思った。夜の森は当たり前だが明かりもないし身を守ってくれるような警察も道具もない。そんな中自分の体一つで頼りになるのはスマホのライトぐらいっていう状況が怖すぎた。やっぱり今の社会は守られているしホモサピエンスは本質的にはビビリなんだなと思った。
(サムネは永久凍土の写真)
北海道旅行について 帯広編11
