ブログで月1万円を目指す。

日常

ブログでサーバー代ぐらいは稼いでいきたいと思うのである。
ブログで1万円を稼ごうとすると、必然的にブログの方向性としてはアフェリエイト広告やgoogleAcdsense広告などでPV数を稼いでいく運用になっていくであろう。結論として自分はあんまりこの方向性にはいかない。それよりもアウトプットや情報の整理、技術の受け皿としてこのサイトは運用させていきたいと思っている。その理由としては自身の成長や自分を客観的に見ることなどである。人間、インプットばっかりだと成長した気にはなれるが、現実には能力は変わっていない。能力を上げたり知識を理解するためにはアウトプットが必要だ。よくアウトプットこそ正義だ!アウトプット大全!とかってあると思うけど、それらの考え方はよくわからない。仕事の成果物としてアウトプットしまくっていって商品を作りまくるのであれば理解できる。だがただただアウトプットするだけでいいみたいなものが良くわからない。ちゃんと目的があればこそだと思う。アウトプットするとなにがいいのか?なぜ本を読んで、アウトプットするのがいいのか?自分の答えとしては人間みんな「自分がかわいくて仕方がない」である。何を言っているかというと、だれでも自分が意見したものや発言した内容についてはめちゃくちゃ気になるしめちゃくちゃ覚えているしめちゃくちゃ過大評価する。自分の発言、発信とするだけで覚えられたり受け入れられたりするのだ。また違うのかもしれないけど、ある洗脳方法として牢屋にいる時におかしを報酬として、社会主義を賛美する文章を書けというものがある。囚人?とらえられている人は報酬欲しさに嘘でも文章を書いていく。最初はまったくの嘘として書いていったのだが、だんだん本当に社会主義が素晴らしいと思えてくるそうだ。そして完全に社会主義者になってしまうらしい。これは自分を正当化する脳の機能だと思う。嘘であろうが、書かされたものであろうが、自分が文章にしてしまったこと自分が発信してしまったことに対するズレを正当化するために、脳は嘘ではなく元から自分は社会主義者だったと記憶や認識をねじまげてしまうのだ。ここまで極端じゃないとしても日常や仕事の中でも同じようなことがあるし、アウトプットすべき理由にもなる。最初は最悪だと思っていた職場も3年も経ってくるといい試練だったなとかこの会社には感謝しているとか思えてくる。これが3年は会社に勤めるべきだという常識?通念の本質だと思う。労働者はこの常識に縛られまんまと罠にかかって洗脳されていい労働力としてこき使われることになる。そうやって世の中をひねくれた目線でみると結構えぐいなと感じることが多い。というか常識とかはそういうものが多いと思う。そんなことで、本を読んでこのブログで適当に発信するのは本の内容を理解して整理するのもあるけれど自分を洗脳させたいというのもある。だから読んでいくべき、取り上げるべき本はちゃんとしたものの方がいいと思っている。あともう一つの理由としては文字を書けるようになりたいということだ。最近思うのは言語、言葉の熟達力は年収や能力にそのまま反映されるということだ。よく言われる読解力や発信力もそうだけど、根本的に文字を上手く扱える人は稼げるし色々と世の中うまくいっていく。ここがジャングルだったら文字とかより筋肉の方が大切だが、人間社会ではやっぱり文字こそが社会タラ占めていると思う。スポーツ選手でいう走り込みみたいなもので、基礎体力としてブログ運用で何千文字も楽にかけてその上で人の心を動かしたり正確に情報を伝えられる能力は身に着けたい。
一旦この辺で切る
(サムネは旅行先で見つけた照明)