成長を阻害する要因について書いていく。
参考本「成長マインドセット―心のブレーキの外し方」
今回は成長ブレーキというものについて話をしていこうと思う。
この成長ブレーキを認知し減らしていくことでただただ頑張っていくよりも効率的に成長をしていくことができる。
本書では2つ紹介されていて、悩みブレーキや大きな子供ブレーキというものがある。
悩みブレーキとは、その名の通り悩んでいてブレーキを踏んでしまい成長が抑制されるものだ。
最近思うのは悩みというのは本当に減らした方が良い。迷っていると悩んでいるは全く違う状態で、迷っているのは今日のランチはAランチかBランチかはたまた期間限定の定食か迷っている状態であり、もう選択肢はありあとは自分の気持ちや状況に従って決める段階にある。あっちがいいかこっちがいいか迷っているだけでそんなに悪影響もなくこの迷っている期間が楽しかったりする。対して悩みは何をすればいいのかわからない。ランチでいえばどの店がおいしいのか?というかこの辺りにランチができるような店があるのか?はたまた外食にするのかコンビニで済ませるのか、仕事が忙しいかササっと食べるだけにした方がいいのか?など心の矢印が定まっていない状態である。選択肢がもやもやしている状態ともいえる。このもやもや感が結構うざいと思う。ずっと足踏みしていたり行ったり来たりしていて一向に物事が進まない状態。そして悪影響なのは本人としては進んでいるように感じることだ。つらいし、うざいし、なにも進まないんだけど、なんかエネルギーは使っているから悩みが解決した後に達成感みたいなものがある。だが、客観的に見れば考えてもしょうがないことやとにかくやってみたり調べてみたりすればいいのにと無駄なようなことのように見える。達成感を得られるという点ではある意味暇つぶしにはなると思うのだが、広い目線で見るとあんまり意味がない。そんな悩みの状態はできるだけ少なくした方が他の部分にエネルギーを割くことができて物事が円滑になっていくであろう。
悩みブレーキの例としては、下積み時期でとにかくコツコツとやるしかないのに給料が上がらないことを理由に中途半端に頑張ることでいつまでたっても一人前になれないことなどだ。野球のピッチャーで例えるとわかりやすいかもだが、とにかく投げ込み、とにかく走り込みと基礎練習を行い、土台を作っていなかないといけない時期なのに、こんなの意味がない、ただ辛いだけで非効率だ、監督やコーチはダメでこんなチームでやってても将来ダメなんじゃないかと変化球の練習をしたりさぼったりする。だがそもそもの球速やコントロール、スタミナがなかったらいいピッチャーに成長することはできないと思う。そんな感じでとりあえずやればいいのにほかに理由をつけたり、否定したりして悩みモードになることで成長が抑制されてしまう。このピッチャーの場合でいうとどうやっても基礎は必要なんだからとにかくやるしかないと思う。先の成長が見えていないから悩むことで時間を稼いだりやらない自分を正当化しているのだろう。
他には、自分には向いていないと悩むことで今の仕事にのめりこまないで成長しないことなどだ。最近のZ世代がこういう見られ方をされることが多いと思うが、(自分もZ世代あたり)この辺のほかに理由をつけるスキルは今の若者や現代人は優れているようなイメージがある。とりあえずやれ!みたいなことになると根性論だとか非効率だと揶揄されるようなものだが、それは悩んでいる状態なだけな気がするケースが多いように思える。あくまで感想や勝手な予測でしかないのだがそういうイメージがある。悩んでいる状態は今やるべきこと、やった方がいいことから逃れるための脳が考えた上手な方法なのかもしれない。悩むことで行動することから逃げられるしなによりやってる感と考えてる俺偉いみたいな謎の気持ちがある。
実際にはとにかく今の仕事をがんばってみたら?と言いたく状態なだけだ。向いていない、向いているにかかわらず全力を出してみないと本当に向いているかとかはわからないし向いているとかって何をもって言うのかもわからん。とにかくやれ!
他の例だと、もっと良い方法があるはずだと良い方法を探すことに時間をかけて仕事がなかなか始まらないことである。
これは結構あるあるだと思うのだが、新しい大きめのタスクが降られたときにこのタスクを効率的にこなすためにどう処理していったらいいのかどう動いていけばいいのかばかりを考えていて、進捗を聞かれたときに全然進んでいないじゃん?となるパターンである。社会人経験が浅い人などが多いと思うのだが、結構陥りやすい。とはいっても最初にある程度全体を調べたり見渡すことは大事だと思う。だが、行き過ぎるとただそれ悩んでいるだけだよね?となる。その塩梅は仕事の経験値がかかわってくるのであろう。自分も経験が浅いときに効率が良い方法を熟考してその方法で一気にやるのが一番良いと思っていた。だが、前どこかでも書いたが「巧遅よりも拙速」の精神の方が生産性や精神衛生が良い。エンジニアであればもっといいツールがあるはずだとずっと探していたり、こうすれば効率的になるはずだとマクロを頑張って組んだりする。それよりもある程度の効率度で拙速にがんがん進めていった方が早いし全体でいったら効率的である。
悩みブレーキはできるだけ少なくするためにまず自分が踏んでいないかをメタ認知することが必要である。
次に大きな子供ブレーキについて。
これは悩みブレーキとは違い、精神的や感情の部分が大きくかかわってくると思っていて、なんじゃそりゃ子供かよってつっこみたくなるようなことだ。例を挙げるとすると、自分に負い目を感じるため、向上心が高く能力も高いさわやかイケメンの30歳のA君をプロジェクトリーダーにするよりも、控えめで自分のことを持ち上げてくれて能力や向上心はいまひとつ足りていないが扱いやすくてたまに叱ることで気持ちよくなれる27歳のB君をプロジェクトリーダーにして自分のポジションを確保しようとする管理職などだ。これは極端かもしれないが、日常や仕事のどこかでこの大きな子供ブレーキを踏んでいることは多い。言い換えれば大人じゃないブレーキの方がわかりやすいかもしれない。駄々をこねている状態のことかもしれない。
他の例でいうと、大きな責任は負いたくないがお金は欲しいから副業サイトばかり眺めているしそれに応募もしない。でも管理職にならないと年収は増えないけど大きな責任は負いたくないからこんな社会はクソだと愚痴ばっかりでなにも学習しない状態なども大きな子供ブレーキを踏んでいると思う。いずれその時がやってくる、いずれそういうことはしないといけないとわかってはいるんだけど先延ばしにしてしまって、限界が来た時にあの時に踏ん切りをつけていれば、もっと早く始めていればと後悔して惨めな気持ちになって落ち込む。そんな人類がどれだけいるのだろうか。結構いると思う。特に男性。大きな責任に関しては自分も考えてしまうところがあり、やっぱり逃げたいと思ってしまう。だが成長という観点で見るとそのブレーキは不要だ。ただただ恐れているしかない。
ここで悩みブレーキについて自分の実体験を自白したいのだが、エンジニアとして新しい技術を勉強しようと思い立った時に最適な教材がないか、もっと安くてわかりやすくてためになる教材があるはずだとアマゾンを周回しているだけでその日がおわり熱も若干さめてしまって学習が進まないことがあった。思い立った時の熱量がすごくもったいないなと思う。新しいことを始めたり学習するときは結構勢いが必要だと思う。その熱量に水をかけるように教材探しといういかにも学習してそうなことで悩むことでやってる感を味わっているのだ。カフェとかに行くとPCはおおっぴろげてはいるが、そのPCの前でスマホをずっと触っていてなかなか学習を始めない人がたまにいる。カフェにいる時間は1時間だったから勉強したねーとなるが、実際に学習をしていたのは20分なんてこともよくある。そういう意味だとこの「やってる感」は悩みブレーキの本質なのかもしれない。大きな子供ブレーキの実体験としては、エンジニア案件に入るために達成すべき会社の課題があるのだが、それをなかなか進めなかったことだ。これも自白になるのだが非エンジニアからエンジニア案件に参画するというのは結構怖かった。この課題をクリアしないことでその怖いものから逃げられるから進めなかったり、安月給のままでいいだよと自分を正当化させたりしていた。でも今思うとすごく子供だったなーと思う。とにかくやれであり、いつまでも子供みたいなこと言ってんじゃないよである。そういう意味だとこの大きな子供ブレーキの本質は「怖い」だったり「わからない」なのかもしれない。防衛本能が働いているのかもしれないが、いつまでも子供のようなことはいってられないと喝をいれないといけない。
本書ででてきたこれらのブレーキ以外にもたくさんブレーキは存在していると思っていて、外見ブレーキなんかも成長には不要なものだと思う。外見や身の回りのものを気にしすぎて機会損失してしまうことはよくあることだろいう。成長だけを目的とする場合はこれらのブレーキは排除していった方がいいと思う。
そして対処法についてだが、本書では詳しく書かれていなかった。唯一書かれていたのはブレーキを踏まない覚悟を持ち、期間を設けて行動するのが良いとあった。2年間は今の仕事を頑張ってみる。1か月は今の学習を続けてみるなど、期間を設けることでブレーキを踏みにくくなるとのこと。実際に痩せようと思ったときにこのダイエット法は非効率だとかもっといい方法があるはずだと悩んだり踏みとどまったりするよりもとりあえず3か月は続けてみて合わなければ別の方法に移ってみると決めることで自分が悩みモードになっていないかが観察しやすくなるだろう。
成長という観点だけで見るとこれらのブレーキはまったく不要であり成長を阻害している。結論としてはゴールにたどり着いてから考えれば良いということだ。人間は予測を手に入れることで発展できたと思っているが、実際のモノがないと考えられないこともある。子供の頃はブレーキを知らずにどんどん成長していくが、親からの影響でブレーキを覚えてしまったり、大人になる過程で自然と実に着けてしまっていったりする。そのためブレーキ自体は悪くないのだが、親と先生はブレーキの存在を認識させ無意識に踏んでしまわないようにサポートすることが重要だと思う。
みなさんも自分自身で踏んでしまっているブレーキについて振り返ってみてほしい。
(サムネは旅行先で見つけた絵画)