最近やっと初めた新NISAについて書いていく。
個人事業主になったため給料として入ってくるお金は税金が支払われる前のお金であり消費税も込みこみのため3月らへんに大幅に支払わないといけないのだが、その支払いまでの期間に新ニーサに入れておくことで利益を出すことができることにやっと気が付いてやらない手はないなと思い立ってガンガンに投資しまくっているのだが、新ニーサは引き出したとしても枠は減らずにまた復活するのが素晴らしすぎて詰めるだけ得じゃない??って思ってしまっている。だから今月もまた給料が入ったが使わない分は全部ニーサにぶっこむことで浪費も抑えられるしお金を増やすこともできている。新ニーサにぶっこむ思考ができる前は手元に何かと浮いたお金がある状態で、育休や手当や制度を考えるとフリーランスになって給料が上がったと言ってもまだ会社員を総合的に上回るほどの利益を得られていないのに、入ってくるお金の大きさに態度が大きくなってしまっていてフリーランスになってから半年くらいはお金使いが荒くなっていた。実質そんなに稼いでいるお金は変わらないのに浪費ししてしまって財布のひもがゆるゆるだった。ある程度ゆとりはできたのだが明らかにかけなくてもいいお金の使い方をしていた節があった。自分が大好きなセネカの「人生の短さについて」でも言っているが浪費家はどれだけお金があって飽き足らずお金を使うだけ使って何も残らない。だけど倹約家や上手にお金を使う人は少ないお金でも上手に運用しお金を増やしていく。その言葉どおり、財布のひもが緩んでいる時は大きな買い物とかが多いくせに今月何に使った?と思い出そうとすると案外ぱっと出てこない。それに対して貧乏だった時期は1000円のラーメンを食べるべきか悩んで、中古の岩波文庫3冊分か…と比較してからその価値があればお金を使いそれ以外は生活費に使うという生活をしていてお金を使うことに対して神経質だった。その代わりハングリー精神や切実にお金が欲しいという惨めさも味わったのだが、どっちの方がいい運用かは客観的に見たら明らかだ。今の自分はその貧乏時代よりかは稼げるようになったけれどやっぱり将来がたまにしんぱいになるくらいの稼ぎだ。本当の意味でお金の心配をしなくてよくなるにはいくら必要なのか?それはよくわからないけれど今よりかはまだまだ桁が3個くらい足りないと思う。貧乏時代はなにかと将来なんて大丈夫だよ生きていればと謎の納得感?があったのだがそうではない本当の意味の将来に対しての安心感はやっぱり新ニーサとか投資でコツコツと増やしていって値札を見なくても買わなくなるくらいの資産が必要になるのだろう。でもお金をもつようになってから思うのはお金がない方がいかにお金を使わずに楽しく過ごすかを考えるからなにか幸福度が高いということだ。幸福度というか楽しさ?がある。たとえばお金がないから車中泊で旅行に行った時も車中泊でしか味わえない不便さと楽しさとエモさ?があった。当時は床が固くて夜寒くて全然眠れなかったり閉塞感でおかしくなってたりしていたが今考えるといい思い出だなーと思う。お金をいっぱい使って楽しんだ思い出よりもお金がないからと苦しんだ思い出の方がニヤニヤしてしまう。そういう意味ではお金を持たない方が人生が幸福なのかも?しれない。でもそれ以上に貧乏だなーという惨めさ、買えないという悲しさ、食えないという寂しさは強いものがある。戻りたいかと言われたらちょっと考えてしまう。
一旦ここらへんで切る
(サムネは旅行先の花活け)